4月に入って、新元号の発表も終わり
平成という時代のG1レースもラスト3になりました。
思い起こせば、平成元年(1989年)はあの武豊がブレイクした年でもありました
皐月賞こそ不出場でしたが、4月に行われた桜花賞をシャダイカグラで勝ち
春の天皇賞を地方から移籍してきた4番人気のイナリワンで勝利。
その天皇賞の決まり目が、これまた昭和天皇がご崩御された「1/7の1-7」で決まるという
あらためてJRAと天皇家の結びつきが濃いことにも気付かされましたね
あれから30年という長いようで短い時間が経過して
いよいよ「令和」という新時代を迎えようとしています。
数々の名馬に跨り、そして数々の大レースを制覇してきた武豊。
平成時代の競馬はまさに武豊抜きでは語れない
それぐらい彼の影響力というのは計り知れない物があると思います
JRAとしても最後は「武豊」に締めくくってもらいたいというのが本筋だとは思いますが
果たして、どういうドラマを、そしてどのようなシナリオが演出されるのでしょうか?
平成最後となる4月の競馬。
JRAがどのような目論みを我々に発信してくれているのでしょうか?
例によってJRAから発行されているオリジナルカレンダーを見てみましょう
その4月の表紙になっているのはコチラ
これは平成11年(1999年)の有馬記念のゴール前での写真です
オールドファンの方には懐かしさを覚えてもらえると思いますが
この年の有馬記念も記憶に残る名勝負でした
前年の有馬記念を制したグラスワンダーに、天皇賞秋、ジャパンカップも制して更に勢いついたスペシャルウイーク
さらにココから頂点へと登りつめていったテイエムオペラオー、菊花賞馬のナリタトップロード
天皇賞馬のメジロブライトや、桜花賞、秋華賞を勝ったファレノプシス、NHKマイルCの覇者シンボリインディまで出ていて
本当に豪華絢爛なメンバーでした。
このレースは何度も見返していますが、いつ見てもスペシャルウイークが勝ったように見えてしまいます
でも、長い長い写真判定の末、ハナ差でグラスワンダーが残しグランプリ連覇を果たしたんですね。
でも何故、4月の表紙にわざわざ暮れの有馬記念のこのレースを持ってきたのか?
この不自然さに当然ながら私は疑問を感じてしまいます。
もちろん残りの桜花賞、皐月賞、そして最後の春の天皇賞では
この時のような名勝負、名場面を期待するにはやぶさかではありません。
ただ、JRAには確実に意図があってこの場面を4月に持ってきたと思えてならないのです。
では、ココから読み取れる事とはいったい何なのか?
単純にわかることといえば「4枠」、「2枠」、「枠連2-4」、「馬連③ー⑦」、「武豊」、「和田」
そしてこのレースは終わってみれば1番人気、2番人気で入線したいわば「堅い」決着でした。
これらのようなキーワードももちろん頭には入れておかねばいけないことですが
JRAが一番に発信したい「キーワード」といえばやはりこれではないでしょうか?
「連覇」
残る3つのG1レースで馬の「連覇」というのは100%ありませんが
騎手や調教師、そして馬主の「連覇」には注意を払っておいた方が宜しいでしょう。
もちろん馬券を的中させるというのは大前提ですが
平成の最後に残されたG1レースはぜひとも後世に語り継がれるような名勝負を期待したいですね
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