過去の有馬記念で私自身がサインや裏読みで当たった、もしくは外して悔しい思いをした有馬記念が幾つかありますが
今回の思い出は今から33年前に遡ります。
このブログをご覧になられている方で33年前から競馬をやってるという方はあまりいらっしゃらないと思いますが
その33年前の世の中ってこんな事がありました!
ちょうどこの頃から「バブル」というのが始まった走りの時でした。
NTTが上場をし、携帯電話というのが出始めた頃ですね
昔の携帯電話ってこんなやつだったんですよ!!
当時はまだほとんどが仕事でしか使われていませんでしたが
なんか重そうにこれを肩にかけて移動していた人をよく見ましたね
当時の国鉄が分割民営化され、今のJRが誕生したのもこの年でした!
あの国民的俳優の石原裕次郎さんが死去したのもこの年でした。
それから、世界的なスーパースターのマイケル・ジャクソンが初来日!
それと、今では当たり前に普段からお世話になっているコレもこの年に初めて発売されました!
アサヒスーパードライは永遠に不滅ですね(笑)
そんな年に行われた第32回の有馬記念。
私は既にこの時あたりからサインや裏読みというのに目覚めていましたが
この時の有馬記念はファーストインプレッションがズバリ的中したものの
肝心の馬券は不適中となって本当に悔しい思いをしたレースです。
そのサインというのは実は「競馬新聞の馬柱」の中に隠れていたんです。
それは何かというと「ユメ」でした!
有馬記念というレースは年の最後に行われる「ドリームレース」
宝くじではないですが、みんな自分の好きな馬とかを買って「夢」を見るレースなのは今も昔も変わりません
その夢が実は「4枠」に隠れていたんですね!
4枠7番にメジロデュレン、4枠8番にユーワジェームスという馬が同居していたのです
その2頭の頭文字をとったらまさしく「ユメ」だったんです。
ん?これは怪しいぞ!!
私には競馬新聞を眺めた時からそんなインプレッションが働いていました。
良し!今年の有馬記念は「4枠」から買ってみようと朝から決めていました
元々、この枠には菊花賞で3着になったユーワジェームスが入っていて
そのユーワジェームスには当時穴男の異名を取る安田富男が跨っていたものですから不気味には感じていたんです
私はこの日、当時の馬友と一緒に中山競馬場を訪れていました。
この頃は有馬記念といってもまだまだ競馬というのが世の中に認知されていなかった時代だったため
競馬場も空いていましたねぇ、若い女性の姿なんか全然見当たらない、来ていたのはホントおじさんばかりでしたよ(笑)
この時の有馬記念にはその年の皐月賞と菊花賞を制したサクラスターオーや
その年のダービー馬メリーナイス、同じくその年の牝馬の2冠馬マックスビューティ等々
当時としては相当な豪華メンバーで争われたレースでした
ですが、この日は天から魔物が降臨してきてるのではないかと言うぐらいレース序盤から不吉な事が起こりました
なんと、2番人気に支持されたメリーナイスがゲートを開いた瞬間に落馬というアクシデント!
場内は異様な感じに包まれながらレースは進んだのですが
最終の4コーナーを回り掛けた所で今度は1番人気のサクラスターオーが競争中止というこれまたとんでもない事態になりました。
当時はまだ枠連しかありませんでしたが
4枠から各2000円づつ5点流しの馬券を持っていた私に残されたのは1-4と2-4と4-6の馬券!
でも黒い帽子のレジェンドテイオーが直線でも粘りを増して
1枠両頭も先団に取り付いてるではありませんか!
4枠の両頭もすぐその後ろ
これはひょっとして当たるかも!?という淡い期待を持ったもんでした
しかし、しかし、結果は外から悠然と伸びた菊花賞馬のメジロデュレンが先頭でゴールインしたと思ったら
最内を突いたユーワジェームスがゴール前ギリギリ2着に喰いこみ
枠連は4-4のゾロ目決着となってしまいました!
まさに「ユメの万馬券」になっちゃった訳でした!!
「うそだろう!まさかゾロ目で来るとは・・・」
さすがにそこまでは考えつかなかったとその場で項垂れてしまいました(笑)
ホント、今でもこの時の悔しさは頭から離れません。
1着に10番人気、2着に7番人気、そして3着には14番人気の馬が入って人気馬総崩れになったこの年の有馬記念。
今の3連単があったら果たしてどれぐらいの配当が付いたんだろうか?
一言で済ませるなら「大波乱」となった当時のレースをぜひご覧下さい。
★ランキングに参加しております。
何か参考になったなぁと思ったらポチッとして頂けると嬉しいです。
にほんブログ村