皆さんこんにちわ、俊樹です。
今回の思い出話しは1995年、今から26年前に遡りますがしばしお付き合い下さいませ。
まだ産まれてないよという方もいらっしゃるとは思いますが、逆にオールドファンには懐かしさを感じて頂けるものと思います
1995年と言いますと、世の中は実に荒れまくっていたなぁというのが実感として覚えています。
荒れまくっていたとはどういうことかと言いますと、人々の記憶に強烈に残る「災害」や「大事件」が起こったのです。
私個人的にはどちらも甲乙つけ難いのですが
年の初めに起こった阪神淡路大震災、ならびに春先の3月に起こった地下鉄サリン事件が私の脳裏に今も強く焼き付いています
元々、大阪育ちだった私には関西には友人、知人、そして親戚などが住んでいたのですが
テレビのニュースのあの生生しい映像を見て震えが止まらなかったと同時に、いてもたってもいられないほど心配で電話をかけまくって皆の安否を確認しました。
結果、私の身近な人たちは皆無事でいてくれてホッとしたのを覚えています
ほんと、あの映像や画像は身の毛もよだつモノでした
それから、3月に起こったオウム真理教による地下鉄サリン事件。
これも衝撃的でしたね~
千葉県の行徳から築地まで電車で通勤をしていた友達がいたのですが
起こった場所が地下鉄茅場町の乗り換え場所、時間的にもちょうど通勤ラッシュを狙われたので友達の安否が心配でしたが
後から電話で話を聞いた時、ほんと間一髪で助かったよと言われてホッとしたのを覚えています。
とんでもないことをしでかしてくれたなぁと怒りが収まらなかったですよ。
この年の良い話って私の中では近鉄バファローズの投手だった野茂英雄さんがアメリカに渡って初めて日本人として成功を収めたことぐらいかな。
確かこの年に新人王を獲得したし、彼のあの独特なピッチング(トルネード投法)はほんと記憶に残るものでしたね
上記の二つの出来事があまりにも衝撃的すぎて、なんかこの1年は世の中が暗かったなぁというのがありましたね。
そんなさなかでも私は競馬には夢中でした。
でも、その時は自分なりの馬券術がまだまだ完成途上というか、負けていたことが多かったですね
とくに、券種は枠連と馬連の二つしかありませんでしたし、独身でお金に余裕のあった私は万単位でよく馬券を買っていたものでした
マイルチャンピオンシップというレースはこの年までとにかく毎年堅いレースが続いていました。
いつしかG1レースの中でも日本一堅いG1レースとも言われるようになっていたんです。
あの時私は、荒れそうな気配を感じ取ることができず、やはり今年も堅いだろ!ということで3番人気と4番人気が同居した7枠からの枠連と、若く好調だった柴田善臣のドージマムテキからの馬連を買ってレースを眺めていました
今でしたらあらゆる角度から検証すればデビューから無傷の3連勝、そしてその中にはシンザン記念勝ちという実績のあったメイショウテゾロが臭いと感じ取ることができますが
その時はオッズだけしか見ていなかったために8枠に入った3頭は一切見向きもしなかったですね
レースは序盤から自分が買っていた馬たちが先団から好位を取り付いていたので割と安心して見ていられました
4コーナーを回っても自分が買っている7枠の2頭と1枠のヒシアケボノの争いが続き、「よし、これは取れたな!」と思いましたよ
しかし、最後のゴール前で真ん中あたりを突っ込んできたピンクの帽子にびっくり仰天
7枠のトロットサンダーが勝ったのは良かったのですが、なんと、なんと、まったくノーマークだった8枠の馬がゴール板わずか手前で2着に上がってしまったのを見て思わず天井を見上げてしまいました。
2着になったのは18頭立ての16番人気、メイショウテゾロという馬だったのです。
配当を見て更にビックリ!
馬連が出来て初めて目にする10万馬券の数字!!
今までは毎年お堅い銀行馬券が当たり前だったレースでしたが、暗い世の中がマッチしたような大波乱に終わったのでした。
苦い思い出が蘇るあの年のマイルチャンピオンシップをどうぞご覧下さい。
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