皆さんこんにちわ、俊樹です。
今回のお話しは1989年に遡ります。
あのレジェンド武豊がデビューから3年目を迎えた春でした
そんな昔話ですが、しばしお付き合い下さいませ。
今から34年前ですが、その頃あなたは何をされていましたか?
まだ産まれてないよ!という方々が多くいらっしゃると思いますが
私は20代前半の、明日のことなどな~んも考えていないタダの頭の悪い若武者でした。
今思えば、ほんとにな~んも考えなくても気楽に生きていけていた良い時代でもありました。
現在とは大違いですね!
この1989年って和暦で言うと昭和64年と平成元年が混在した年でした。
そうです、この年の1月7日に昭和天皇が崩御され新しい時代が生まれました。
国民にとってありがたくもない制度が生まれたのもこの年でしたね。
でも、今とは比べ物にならないぐらい景気は良かったんですよ!
皆さんもよく耳にしている「バブル景気」の真っただ中だったんです
そんな中、競馬界も第二次競馬ブームというのが訪れ、その牽引役に抜擢されたのが武豊だったのです。
前年にスーパークリークという馬で武豊がデビューから最速のG1制覇を飾ると
翌年のこの1989年から彼は急激に成長していきました。
まず、その相棒が牝馬のシャダイカグラだったのです
そのシャダイカグラはデビューから3戦目に武豊とコンビを組み
そこから桜花賞までの5戦を4勝1敗として本番では1番人気に支持されたんです。
今では考えられないローテーションで、桜花賞までなんと7戦も消化したんですよ
でも、当時はそれが当たり前でもありました。
そして、まだ馬券の券種が単勝と複勝と枠連の3種類しかなかったので
ある1頭の馬に人気が集中した場合は「単枠指定」という制度が設けられていてこんな馬柱だったんですよ
初めて見られる方は新鮮に映るんじゃないですかね
そして、迎えた桜花賞ですがなんとシャダイカグラは大外18番!
私はその日、馬友と一緒に後楽園の場外馬券場に出向いてモニターでレースを見ました。
馬券は一抹の不安もありましたがシャダイカグラからの枠連の流し馬券を手に握りしめていました。
しかし、そのシャダイカグラがスタートで出遅れてしまったのです
「オイオイ、大丈夫かよ、勘弁してくれよ~」っと声が出てしまいましたが
冷静沈着に武豊は馬群を縫って上がっていきました。
4コーナーを回るあたりはまだシャダイカグラは中団に位置していて一瞬冷っとしましたが
直線に向くやシャダイカグラは外からグングンと伸びてきてそこで一安心。
ホクトビーナスが勝ったかなぁと思いきや、ゴール前できっちりと差して優勝したところに天才の片鱗を見ましたね
この後、シャダイカグラではG1は勝てませんでしたが
イナリワンという馬で天皇賞(春)と宝塚記念を勝ち、スーパークリークで天皇賞(秋)も勝ってこの年G1を4勝。
この年を境に天才武豊の快進撃が始まったのでした。
では、出遅れてハラハラ、ドキドキさせられながらも強い競馬をしたシャダイカグラの桜花賞をご覧下さい。
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