高松宮記念の思い出!短距離でも懸命に走り抜いたナリタブライアン

G1レースメモリアル
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今でこそ高松宮記念というのは

中京競馬場において電撃の6ハロン戦のG1として定着していますが

昔は2000mの距離で争われていたG2のレースでした。

2000mから今の1200mへ変更され、G1へ昇格したのが1996年。

その記念すべき最初の年に有馬記念を含めた4冠を獲得したナリタブライアンが出走してきました。

ナリタブライアンといえば中央競馬史上5頭目の牡馬クラシック三冠馬であり

「シャドーロールの怪物」という愛称で親しまれました。

シャドーロールの怪物ナリタブライアン

 

そんな名馬が何故、不適正な距離の高松宮記念に出走したのか?

今でも信じられない出来事でした。

当時、生前の大川慶次郎氏がこのことに対して

「ナリタブライアンを高松宮杯(当時の名称)に出走させるなんて邪道以外の何ものでもない!」

同馬の調教師でもあった大久保正陽氏に対して

メディアを通して批判していたのが本当に印象に残りましたね。

もちろん私もあの方の意見には同感しました。

そして、幾ら武豊を乗せようとナリタブライアンの勝利はないだろうと予想もしていましたが

案の定、怪物と言われた同馬でも勝利の女神は微笑みませんでした。



その時に勝ったのは名手田原成貴が騎乗したフラワーパークという馬だったのですが

でも、ナリタブライアンは懸命に走りました。

コースレコードで勝った馬から0.8秒差の4着でしたから善戦したと言っても良いでしょう

しかし、もうこんな事があってはならない

本来のナリタブライアンの得意な距離に戻って

再度、あの強い勇姿を見たいと思っていた矢先

ナリタブライアンは一ヵ月後に屈腱炎を発症し引退をしてしまいました。

あの高松宮杯へ出走したことが原因だったのかどうかはわかりませんが

ホント、惜しまれる引退でした。

 

ある意味、人間のエゴによって

本来のパフォーマンスを発揮できないレースに出走させられ

それでも全力疾走したあの姿は今でも脳裏に焼きついています。

ナリタブライアンの最後の勇姿となった当時の高松宮杯をどうぞご覧下さい。




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