ダービーの思い出!伝説のナカノコールが蘇る1990年アイネスフウジン

G1レースメモリアル
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ダービーがやってくると思い出す

あの時の大興奮と感動の名場面!

 

私が一番最初に見たダービーというのは1980年(昭和55年)。

今から39年前にも遡ります。

あの時は豪腕郷原騎乗のオペックホースという馬が

吉永正人騎乗の1番人気モンテプリンスを退けて優勝しました。

あれ以来、毎年興奮しながらダービーのファンファーレを聞いています。

 

全世界のホースマンが憧れるダービー

やはりこのレースには格別な思いがありますね。

思い返せばダービーには様々なドラマがありました。

中でも私が一番感動をした、忘れることのできないダービーというのは

1990年、第57回日本ダービーです。

勝ち馬はアイネスフウジン

ダービーを逃げ切ったアイネスフウジン

 

そう、あの伝説の「ナカノコール」が生まれた時です。

ナカノコール

 

そして、競馬がギャンブルというものから

1つのエンターテイメントに変わっていった時でもありました。

 

「競馬というのが変わったなぁ~!」とアイネスフウジンに跨っていた中野栄治騎手(現調教師)が

ぽつりと漏らしていたように、私もこの年あたりから競馬が様変わりしたというのを実感しました。

それには、オグリキャップというアイドルホースの登場や

天才ジョッキー武豊の出現というのが大きく影響したというのもありますが

JRAの施したイメージ戦略が功を奏した部分もあり

この年から男性は柳葉敏郎さん、女性に賀来千香子さんという若いお二人が

イメージキャラクターとして様々なメディアに登場して競馬というのをアピールしたことから

競馬場にはカップルや女性の姿も目立つようになっていきました。

柳葉敏郎、賀来千香子 好奇心100%の競馬です♪

「好奇心100%の競馬です♪」というキャッチフレーズでCMなどを賑わしていましたが

今こうやって見ると当時は若かったですね、このお二人も!!

柳葉敏郎、賀来千香子 JRAのイメージキャラクター

ココから新たな競馬ブームというのが巻き起こっていった

競馬界の分岐点にもなった1990年でした!



1990年5月27日、あの日私はいつものように東京競馬場のゴール板前の2階席に座り競馬を満喫していました

とにかく、今まで以上に凄い入場者数だなぁというのがその時の実感でした。

後でわかったことですが、あの日に東京競馬場に訪れた人の数はなんと19万6000人

この数字は入場人員レコードとして今でも塗り替えられておりません。

 

あの年のダービーで1番人気に押されたのは弱冠25歳の横山典メジロライアン

そして2番人気にも当時まだ23歳だった若武者武豊が跨った皐月賞馬のハクタイセイでした。

今の時代ではとてもとても起こりえないような事が起こっていたのもこの時代でしたね。

そんな中で、一旦は地獄を見た男が再度立ち上がり

まだまだ若者には負けられないと奮起していたのが苦労人の中野栄治騎手でした

そして、そんな彼にもようやく巡り会えた馬がアイネスフウジンだったのです。

 

皐月賞で2着に敗退したアイネスフウジンが3番人気に押されましたが

この日は21頭を引き連れて逃げの手に出て

最後も追いすがってきた1番人気のメジロライアンを抑えこみ

堂々と逃げ切り勝ちでダービーの栄冠をものにしたのでした。

1975年にカブラヤオーが作ったダービーレコードを上回るおまけつき

 

埋め尽くされたスタンドの中から観戦していた私も

馬券を的中させた上に、あの感動と興奮を抑えきれませんでした

そんな中でウィニングランをして戻ってきたアイネスフウジンと

中野騎手に対して突如として起こったのがあの「ナカノコール」。

今までそんな事は一度も体験したことがなかった私も

何が起こったのかというぐらいにビックリしましたね!!

 

競馬場全体に広がる「ナ・カ・ノ」「ナ・カ・ノ」の大合唱

場内がまるでライブ会場へと変わり、あの時ばかりはホントに驚きを隠せませんでした。

それは、単なるお祭り気分のものではなく

苦労してやっと栄冠を掴んだ中野騎手への心からの賞賛が

あのナカノコールへと変わったんだと今でも思っています

 

堂々の逃げ切り勝ちでダービーの栄冠をものにした中野騎手&アイネスフウジン。

そして、競馬史上初となる伝説の「ナカノコール」が起こった感動の瞬間をどうぞご覧下さい




 

 

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