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雑記

川崎殺傷事件について思う!いかにして凶悪犯人を少なくするかも大事ではないのか?

今、世の中では連日のようにこの「川崎殺傷事件」のことについて

多くのメディアを含め、巷で話題として取り上げられています。

 

「1人で死んでくれ」という論争にしかり

この事件に対しての議論の賛否両論が渦を巻いて起こっています。

ですから、私も軽々しくこの問題に関して意見を述べるつもりはありませんが

でも、どうしても自分の意見というのを書き残しておきたいという思いで筆を取りました。

 

それが正しいのかどうかはわかりません。

ご批判を頂くのかもしれません

でも、今でこそ真剣にこの問題を考えていかないと

残念ながらこれからも益々こういった事件は増え続けていくのではないかと思っています。

何故ならば、社会が弱者に対して更に置いてきぼりを喰らわすからであるからです・・・

 

 

私が常日頃から思いを寄せていることは

何故、このような凶悪犯罪というのが後を絶たないのでしょうか?

何故、雨後の竹の子のように次から次へと凶悪的な犯人が沸いて出てくるのでしょうか?

犯人の動機というのは様々でしょうが

昨今はあまりにもこういうことが多くなったなぁと感じているのは私だけではないはずです。

 

昔から凶悪的な犯罪、凶悪犯人というのは存在していたのは事実です。

ただ、昨今の凶悪犯人の行動を起こす動機というのは

ある意味、共通しているのは間違いないなぁと感じています

それは、世間に見放された弱者たちの「社会に対しての恨み、辛み」です。

 

「なんで俺だけがこんな目に遭わなきゃいけないんだ!」

「くそ~、畜生、誰も俺のことをわかってくれない」

 

多かれ少なかれ、こういった思いは誰にでもあると思います。

ただ、そこは「理性」というもので自分を押さえ込み

普通の人間は悪い方への行動を起こさないだけであって

でも、一歩間違えば、誰でも犯罪者になってしまう恐れがあるというものです

 

 

では、これからの社会を考えてみて下さい。

どのような社会になっていくのかということを。

ごくごく身近なところでは、この6月から物の値段が上がりました。

そして、秋には消費税増税も控えてます。

会社は終身雇用は無理だよとハッキリと言っています。

国家は年金が破綻していると認めています

サラリーマンの給料も今後増えていくことは期待できないでしょう

それどころか、逆に可処分所得がどんどん目減りしてくのも明らかです。

そして、AIが人の仕事をどんどん奪っていき

普通の人が普通に仕事ができなくなるという事態も起こってくるでしょう

庶民にとっては悪いニュースばかりが重なっていくんです。

 

そういったことを踏まえて考えても

正直、「弱者」にとっては良いことがほとんど無くなっていく世の中になるのです。

先ほどの話ではないですが

「なんで俺だけがこんな目に遭わなきゃいけないんだ!」

と被害妄想が先立ってしまい

悪事を働かす人がどれだけ今後増えていくことか?

想像をするとホント、身の毛もよだつ思いです

 

人は生まれながらに色んな生い立ちがあります。

良い人もいれば、今回の事件の犯人のように悲惨な生い立ちの人間もいます。

こればかりはどうすることもできないし

変えることのできない運命というか宿命なのです。

 

国がそういった「弱者」に対して助け舟を出してくれればいいのですが

そんな事は日本が逆立ちしてもどだい無理なことなんです

これからは尚更自分の身は自分で守っていかねばならない時代になるのです。

でも、いつの時代も世の中は「強者」と「弱者」に分かれてしまいます

 

 

「三つ子の魂百まで」という諺があります。

3歳ごろまでに受けた教育によって形成された性質・性格は

100歳になっても根底は変わらないという意味を持ち合わせています。

私はある意味、今でこそ「教育」そのものを根底から見直す必要があるのではないか?

そう感じずにはいられません。

親の教育、学校の教育、社会に出てからの企業の教育

教育といっても幅広いですが

どんな凶悪犯人だろうが、どこかしらでこの教育というのは100%受けてきているのです。

 

ちなみにこれを読まれているあなたは

社会に出る前、または社会に出てからの「強者」と「弱者」の在り方について教育を受けたことありますか?

ないですよね、私もありません。

何故でしょうか?

そんなことはカリキュラムに無いからです

ココが教育の最大の欠陥だと思います。

 

教育というのも時代と共にどんどん様変わりしています。

私が学生の頃は、やれコンピュータだの、やれプログラミングだのというそんな科目はありませんでした

まぁ、それが当たり前の時代でもありましたからね

国語だ、数学だ、英語だを教えるのも大事なことだとは思いますが

やはり、物心ついた時からの社会教育というのも

今でこそ、根本から変えていく必要が絶対にあるのではないかと切に思います

 

 

最悪な行為に及ぶ前に

それを踏みとどまらせる「何か」がなかったのか?

その「何か」というのは、人間が生きていく上で

または、弱者が生きていく上で大事なこと。

もちろん、これが全てではありませんが

これを何度も何度も言い聞かせて、人間の脳に植え付けさせることも必要ではないでしょうか

「そういえば、あの時あの人がこんな良いことを言ってたな」と。。。

これは凶悪犯人とは限らないですが

もしかしたら、悪事を働く一歩前に考え直してくれる人間も出てくるのではないか?

私はそう思わずにはいられません。




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