お話しは1991年(和歴だと平成3年)ですから今から28年前の出来事です。
私は20代の半ば、もう毎日が楽しくて飛び跳ねていましたね(笑)
世の中はバブルの絶頂期!
トレンディードラマが大流行で
当時は小田和正さんのラブ・ストーリーは突然にがよく流れていました
この年に一番印象に残った出来事といえばコレが開店したこと
ディスコブームに乗り、東京芝浦の倉庫街に突如「ジュリアナ東京」がオープンしました。
ワンレン、ボディコン、お立ち台という言葉が流行り
ジュリ扇と呼ばれる扇子を振り回しながら、踊り乱れる若い女性の姿が
雑誌やテレビなどでも紹介されて大きな話題になりましたねぇ~
私も当時は若かったですし、ディスコが大好きでしたので
よくこの「ジュリアナ東京」には足を運んでいましたよ!
日中に競馬を楽しんで、夜はディスコで踊りまくるということを繰り返してたもんです
ホント、今思えば良い時代でした!
競馬の世界ではまだ、馬券の種類も単勝、複勝、枠連の3種類しかありませんでしたが
オグリキャップや天才武豊の出現などで
その前の年あたりから様変わりし、こちらもブームになりはじめていた頃ですかね
そんな年の3才(当時はまだ4才表記でした)牝馬戦線でしたが
デビューから連戦連勝を重ねた当時の素質馬でもあった
イソノルーブルやシスタートウショウあたりがクラシック戦線を盛り上げ
その2頭が激突したのが桜花賞でした。
片や5戦5勝、片や3戦3勝と、無敗馬同士の激突だったんですが
運悪くイソノルーブルが落鉄をしたまま出走を余儀なくされたことで
その時はシスタートウショウに軍配が上がりました。
そして、迎えたオークスではまたまたイソノルーブルが運悪く
20頭立ての大外枠に入ってしまったことで4番人気にまで支持が落ちたんです
2400Mを逃げ切るのは難しい
まして逃げ馬がこれだけの多頭数の大外枠に入るということは不利以外のなにものでもない
当時は、やはりイソノルーブルはまず厳しいだろうと言われていました
しかし、そんな周りの声をあざ笑うかのようにイソノルーブルは自分の戦法を取り果敢に逃げました。
直線残り100M、逃げ込みを計るイソノルーブルに
やはり大外から飛んできたのは一番人気のシスタートウショウでした
ゴール前、猛然と襲い掛かりましたがわずかながらイソノルーブルが残し
桜花賞の雪辱を晴らしたのがこのオークスだったんです。
片足を裸足同然で走らなければ、イソノルーブルは桜花賞だって勝っていたんじゃないかと思いましたね
今でも記憶に残っていますが、勝利ジョッキーインタビューで鞍上の松永幹夫が
「もうボク、一生G1を勝てないんじゃないかと思っていました」
という言葉がホント印象的でした。
あれから28年経った今でも、オークスでの純粋な逃げ切りというのがありません。
そんなイソノルーブルの華麗な逃げ切りをご覧下さい。
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