記事冒頭ではありますが
アメリカのケンタッキーダービーで
そして日本のNHKマイルCで
それぞれ「降着劇」が起こるという
世にも奇妙な負の連鎖があったGWのG1レースでした。
しかも、降着に合ったマキシマムセキュリティもグランアレグリアも
同じゼッケン番号が「7番」だったのですから
まさしく競馬の神様の悪戯としか言いようがない出来事でしたね。
しかし、こんな不思議な事が起こるのが競馬なんですねぇ~!
それによって鞍上のルメールは実効6日間の騎乗停止
今後予定していたG1レースでの各有力馬の騎乗ができなくなりました。
その中にはダービーで無敗の2冠馬を目指すサートゥルナーリアの名前まで出てきます!
すかさず陣営は代役を探し、オーストラリアの若き名手D.レーンがサートゥルナーリアの手綱を任されることになったみたいです
果たしてダービー初出場のレーンがサートゥルナーリアを
無敗の2冠馬へ導くことができるのでしょうか?
ココからが本題ですが
代役を任されたレーンは短期免許で来日している数多くの外人ジョッキーの中でも確かに巧い部類に入るとは思います。
来日して即、東京競馬場で4勝をしたと思ったら
平成最後の重賞でもあった新潟大賞典を7番人気のメールドグラースで優勝するなど
新潟コースが初経験にも関わらず、その手綱裁きには目を見張るものがありました。
これならダービーでも好騎乗を期待できるかもしれません。
ただ、長い長いダービーの歴史の中で
レーンに立ちはだかる高い壁があります。
それは何かと言えば「テン乗り」です!
そして、「テン乗り」で勝てるほどダービーという日本最高峰のレースは甘くないということ。
ダービー前に最低一回でもその馬の手綱を握ってレースに出場した経験が無ければなりません。
そして、今まで幾人かの外人ジョッキーがテン乗りでレースに出場しましたが、誰一人として乗り馬を優勝に導いたジョッキーも皆無です。
ダービーだけは「人馬一体のドラマ」が崩れていないということです。
日本中央競馬会(現JRA)が発足されたのが1954年
それ以来、一度足りとも「テン乗り」でダービーを勝った騎手はいません。
※1985年のダービーで、岡部から加藤和に乗り替わり
シリウスシンボリが優勝をしたことがありますが
加藤和はデビューから同馬にずっと跨がっており
これは「テン乗り」とは言いません
ダービーこそ「人馬一体のドラマ」。
長らく競馬を見てきた私も含め
多くの競馬ファンなら、この言葉の重みというのをわかって貰えると信じています。
今からお伝えしておきますが、20日後に迫った第86回日本ダービー
無敗の2冠馬の誕生というのは99.9%無くなったと言ってよいでしょう。
令和元年のダービーは日本人ジョッキーが祝福される
そんな名場面を今から頭に思い描いています。
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