「走る」ということにおいて
人間でも短距離走が得意な人もいれば
長距離走が得意な人もいます
でも、どちらも得意という人ってなかなかいないんじゃないでしょうか?
馬だって同じだと思います
短距離で実績をあげる馬、中~長距離で実績をあげる馬とは必ず別れます。
でも、この高松宮記念が今の6ハロン(千二)戦として確立された最初の年(1996年)に
異常とも取れる出来事がありました。
それは、あの4冠馬ナリタブライアンがこの高松宮記念に出走したことでした。
「ナリタブライアンが武豊で高松宮記念に出走!」
私は始めにこのニュースを知った時に
なんという邪道なことをするんだ!って思いましたね。
いくらナリタブライアンでも使うところが違うだろ
予定通り、天皇賞春を使ったんだから、そのまま宝塚記念へ行けばいいじゃないか
巷ではこの事が大変な話題になりましたが
私はどちらかといえば陣営に対して怒りを覚えました。
それと同時に、ナリタブライアンの脚元の無事を祈るばかりでした
この件に対してはやはり批判の方が多かったですね
それによって当時ナリタブライアンを管理していた大久保調教師と
マスコミとの間でかなりの対立もあったようですね
しかし、マスコミが騒ごうが何しようが大久保調教師の決断は固く
結局、ナリタブライアンは高松宮記念(当時は高松宮杯という名称)に出走することになってしまったのです。
出走馬はスプリンターズSを勝ったヒシアケボノや
スプリンターズSを2度も2着した実績のあるビコーペガサス
このレースに勝って後にスプリンターズSも勝ったフラワーパークなどという
短距離のスペシャリストが揃う中
可哀想にも当のナリタブライアンが混じっていました。
確かにナリタブライアンはデビューから3戦は千二という距離の経験はあるものの
それ以来はずっと中~長距離を使われて、それなりの体型になっていたはずです
ですから、いきなり千二で必要な脚力を使って骨折とかしないか?
私はそればかりが心配でした。
レースはやはり電撃の6ハロン戦と言われるぐらい
脚の速い馬が最初からガンガン飛ばして行くような展開。
しかし、ナリタブライアンは追走に手間取って
後方からの競馬を余儀なくされました。
結果的にフラワーパークがG1初勝利を飾ったですが
なんと中京千二のコースレコードを上回るタイムがこの時出ました。
ナリタブライアンは後方から馬群を捌いて追い上げるもやはり4着が精一杯。
でも、短距離自慢の馬たちが揃う中で良く走った方だと思います。
ですが、ナリタブライアンはこのレースの一ヶ月後、右前脚に屈腱炎を発症し
そして引退をしていってしまいました。
時間が経った後のことなので、レースによる影響ではないにしても
なんか後味の悪いレースだったなぁという思いが蘇りますね。
レコードタイムが出るようなレースの中で懸命に走ったナリタブライアン
彼の最後のレースになってしまった高松宮杯をどうぞご覧下さい
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