阪神大賞典といえば、昔から天皇賞(春)への前哨戦的な意味合いが強いレースでもありますね。
歴代の勝ち馬を見ると、ディープインパクトやゴールドシップ、メジロマックイーンにテイエムオペラオー他
名馬の中に入るようなそうそうたる名前が連なっています。
G2でありながら、時としてG1レース並みの豪華な面子が揃う時もあったこのレース
思い出としては様々にありますが、やはり強烈な思い出として脳裏に残っているのは1996年のレースでしょうか。
そうです、しばしば中央競馬史上の名勝負の1つにも挙げられる
ナリタブライアンとマヤノトップガンの世紀のマッチレースが演じられた時です。
レースそのもの自体、大変に見応えがありましたが
実は私なりにこのレースに掛けるナリタブライアンへの思いも相当な物がありました。
それは前年の秋のナリタブライアンの始動戦として天皇賞秋が使われたのですが
当時の主戦ジョッキーであった南井騎手が落馬による怪我のため乗り変わる事態が発生しました
そこで陣営は天皇賞秋の鞍上に急遽的場騎手を選んだのですが
1番人気の期待に応えられずになんと12着に敗退してしまいました。
4冠馬ナリタブライアンにとってはなんという屈辱な敗戦だったことか!
陣営としてはもう二度とこのような敗北は喫してはならないということで
続くジャパンカップからの鞍上を天才武豊に乗ってもらうことになりました。
しかし、武豊が乗っても当のナリタブライアンは敗戦のショックから立ち直れなかったのか
ここでも掲示板を外す6着に破れてしまいました。
今度こそはという思いで挑んだ有馬記念でも
結果としてナリタブライアンらしさが見れずに終わってしまいました。
私自身もホント、首を捻りましたね。
武豊が乗ってもココまで走らないのか・・・と。
でも、そんな事はない、武豊のことだから次は必ず結果を出してくれると信じて迎えたのが
宿敵だった名手田原成貴のマヤノトップガンも出走してきたこの阪神大賞典でもありました。
とにかく当時のマヤノトップガンは菊花賞、有馬記念と連勝して絶好調期に入っていました
人気もわずかにマヤノトップガンの方がナリタブライアンを上回りレースを迎えましたが
私は必ずナリタブライアンがココで復活してくれるだろうと信じ
たかが2倍しかつかない単勝にドカンと万札を10枚ほど勝負をしたのでした。
レースは案の定、3角過ぎからこの2頭の勝負度合いが更に強くなり
直線に向くや、2頭のマッチレースが行われました。
内にマヤノトップガン、外にナリタブライアンの強烈な叩き合い
私もウインズのモニター画面に向かって「ブライアン、ブライアン」と叫びまくりました
いや~、この時ほど直線が長く感じたことはなかったですね
結果、ほんとに微妙な差でしたが武豊ナリタブライアンが勝ってくれたのを確認し
なんか全身の力が抜けた感じになってその場にしゃがみこんだのが昨日のように思い出されます
天才と名手の意地のぶつかり合い!
その時ばかりは応援に必死でしたが
再度レースを見返してみたらなんという素晴らしいマッチレースだったか!
今でもあの日の興奮が脳裏を駆け巡ります。
「ゴールした瞬間、鳥肌が立った」と当の武豊も言っていたあの時のレースをぜひご覧下さい
⇒⇒⇒高松宮記念の思い出!えっ、ナリタブライアンが千二という短距離を走る!?
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