今年で38回目を迎えるジャパンカップ。
第1回目から見てきた私は、それはもう様々な思い出が蘇ります。
これをご覧頂いてる方々の中でご存知の方はそういらっしゃらないとは思いますが
今回もしばしお付き合い下さいませ。
時は1981年、和暦に直すと昭和56年です。
そう、第1回目のジャパンカップが行われた年です。
ちょうどあの年にJRA(まだ確かこの時はJRAという呼び名じゃなく、日本中央競馬会だったと記憶しています)が
改革を行い、前身であった「クモハタ記念」という重賞レースを国際招待競走にしようということで
正式にジャパンカップというレースが創設されたのでした。
当時、私はまだ高校生でした。
たまたま同学年に競馬好きな人間がいて、そいつから競馬のことを教わるようになって
すっかり競馬の虜になってしまいました
今でならまだしも、当時は競馬というと周りから白い目で見られるような時代。
まして高校生の分際で競馬をやるとは不届きもの以外の何者でもなかったですね
学校の教室の中で競馬新聞を広げて友達と競馬談義をしていたら
先生に「お前ら、また競馬か、いいかげんにしろ!」とよく怒られたものです
学校の休みの日には私服で後楽園の場外馬券場へ馬券を買いに行っていたんですが
やはり顔が童顔だったのか、「競馬法違反」ということで警察にご厄介になったこともありましたよ(笑)
今の時代ならどうなのかわからないですがね!?
まぁ、ジャパンカップが始まった年というのはそんな年でもありましたが、昨日のように懐かしいです
当時はまだまだ鎖国の時代。
外国の馬や外人ジョッキーなんて誰一人全然知りもしない時でした。
私は馬友と「日本の馬と外国の馬とどっちが強いんだろうな?」とよく話をしていました。
「府中には最後に坂があるじゃん、もしかしたら外国の馬は坂に慣れてないから日本の馬の方が強いんじゃない?」などと
いっぱしにそんな話もしていましたねぇ。
これが第1回目のジャパンカップに出走したメンバーです
ちなみに私はココにも出てきていたモンテプリンスという馬が大好きでした。
前日の土曜日のレースに我先とばかりにインドからも外国の馬がやってきていました
「インドのシンザン」と当時は呼ばれていたオウンオピニオンという馬でした
でも、レースを走ってみたらその呼び名は何処吹く風のように日本の馬にはまったく歯が立ちませんでしたね
それを見て「これは日本の馬にもチャンスあるんじゃない?」という期待感を持ったものです。
アメリカやカナダ、他各国からも当時の最強馬と呼ばれる馬たちが集まり
晴れて第1回目のジャパンカップが行われたのでした。
「果たして日本の馬がどんなレースをしてくれるのか?」
自宅のテレビでハラハラ・ドキドキしながら目を食い入るように私たちもレースを見ていました。
日本のサクラシンゲキという馬がレースを引っ張り、日本馬が善戦したようにも見えましたが
終わってみれば1着から4着まで外国の馬が占めるという日本人にとっては残念な結果になりました。
テレビを見終わった後にその馬友と「やっぱり外国馬って強いんだな~、日本馬が勝てる時が来るのかね?」とポツンと漏らしていました。
でも、それからまさか4年後に日本の馬がジャパンカップを勝つなんて想像も出来ませんでしたね。
今となってはもうジャパンカップというレースは日本の馬の独断場。
できればこの時のように各国の最強馬という馬たちが訪れて、日本の強い馬たちと戦ってくれることを願ってやみません。
当時、個性派として親しまれていた盛山アナの競馬実況は今でも脳裏から離れません。
世界の最強馬たちが集まった第1回のジャパンカップをどうぞご覧下さい。
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