明るいキャラクターで熱烈なファンも多かった!
テレビのバラエティー番組にもよく出演していて
競馬界一のエンターテイナーと呼ばれた、今は亡き後藤浩輝騎手。
度重なる落馬で、何度も闘病生活を繰り返しましたが
その度に不死鳥のように蘇ってきてはまた活躍をするという
不屈の精神には感服することが何度もありました。
でも、41才というまだまだ若くして、どうして死を選ばなければならなかったのか?
今だに疑問を感じずにはいられませんが
歴代16位となるJRA通算1447勝を挙げた彼の成績の中では
記憶に残るレースが数多くありました。
その中で、AJC杯のエアシェイディの勝利というのは
あのゴール後のガッツポーズを見る限り
彼にとっては本当に嬉しい勝利だったんだなぁってつくづくと感じましたね
エアシェイディという馬は、今にして思えば本当に元気な馬でした
2才の秋にデビューして、9才の春まで走っていましたからね
デビューから3戦は当時短期免許で来日していた今は懐かしいペリエが跨り
好成績を残しながらも、怪我によって春のクラシック戦線を棒に振ることになってしまいました。
3才の秋から当時の後藤浩輝騎手が手綱を任されるようになったんですが
重賞でも1番人気に支持されたり、ココぞという時に度重なって惜敗を繰り返してしまいました
責任感の人一倍強い彼もそれは相当責任を感じていたんだと思います
ある時を境にエアシェイディは、アンカツや横山典といった有力ジョッキーが跨るようになってしまいました。
しかし、1年半という歳月が流れ、また後藤騎手はエアシェイディに乗るチャンスを与えられたのです。
彼としては以前のような惜敗の繰り返しはしてはならないと自分にプレッシャーを掛けるかのごとく
このエアシェイディに跨ったんではないかと思います。
でも、再度跨った年明けの金杯でも、またまた2着と勝利の女神から見放されました。
そこで迎えた次のAJC杯、今度こそばかりはと、たくさんのファンがこの馬を支持して当日は2番人気に押されていました。
そして、ようやくエアシェイディ&後藤浩輝に勝利の女神は微笑んだのです。
例えG2でも、彼にとってはG1を勝ったぐらいの喜びだったに違いありません。
あの時の後藤騎手のガッツポーズがこのAJC杯を迎える度に思い出として蘇ってきます。
そんな嬉しさを体で表現した、彼にとっては会心の勝利だった当時のレースをご覧下さい。
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