先日のウオッカに続き、またまた女傑と言われた名牝の悲報が届いてしまいました。
ヒシアマゾンといえば私の大好きな馬でしたね。
同馬が競走生活を送っていた頃は
まだ外国産馬にはクラシックが開放されていなかった時でした。
残念ながら桜花賞やオークスへは出られませんでしたが
仮に出走できていたなら、少なくともどちらかの栄冠は物にしていたのではないかと今でも思います。
当時はまだまだ外人ジョッキーたちの姿がほとんど無い時代。
ですので、強いと評判の馬の背中にも
地味なジョッキーが跨っていることもしばしばありました。
中舘英二騎手といえば同馬が活躍する以前にアサヒエンペラーというお手馬がいましたが
結局G1レースには手が届かずに、大舞台で脚光を浴びるということはありませんでした。
そんな中舘騎手を男にしたのがこのヒシアマゾンだったと思います。
ご本人曰く「乗り役としての知名度を上げてくれました。
あれほど切れる脚を使う馬に乗ったのは初めてでした。」と言っているように
当時施行されていた中山でのクリスタルCで
とても届かないという位置から繰り出したあの豪脚は今でも脳裏に強く残っています。
私と同様に、あの時代の競馬をリアルタイムで見た人たちは
現代の実績を残した名牝たちと比較しても
全く遜色ないと思っている人が多いと思います。
終わってみれば阪神3歳牝馬S(現阪神JF)、エリザベス女王杯とG1は2勝しかしませんでしたが
現代と同じ競馬番組があったなら、恐らくもっとG1を勝っていたのではないか
そう思わせてくれる当時の「女傑」でした。
ヒシアマゾンの一番の思い出といえば、負けはしましたが2着に奮闘したナリタブライアンが勝った有馬記念。
16万人という大観衆で、それこそ足の踏み場もないぐらいぎゅうぎゅう詰めの中での現地観戦でしたが
4コーナーで外からヒシアマゾンが巻くってくるのがオーロラビジョンに映し出された時は
ホント、鳥肌が立ちました!!
なんせ、ナリタブライアンとヒシアマゾンの馬連1点を
大枚をはたいて勝負していたもんですからね(笑)
馬券でもお世話になり、最高の思い出を作ってくれたヒシアマゾン
どうか天国で安らかに眠って欲しいと思います。
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