地方競馬ならいざしらず、JRAで今、これだけ走る馬は果たしているだろうか?
デビューから数えてなんと「51戦」を走り続けた鉄の女「イクノディクタス」。
そのイクノディクタスがけい養先の北海道新冠町にある五丸農場で
老衰のために死亡してしまったことがニュースで流れました。
32歳だったそうです。
そういえば、1980年代の遥か後半から1990年代初頭にかけて
この馬は重賞という重賞にはことごとく顔を出していたのを思い出します。
とにかく、牡馬相手によく奮闘したと思います。
大万馬券の片棒を担いだ1993年の安田記念。
当時、シスタートウショウやシンコウラブリー、さらにはニシノフラワーという牝馬のG1ホースたちに混ざり
7歳にして、しかも14番人気という低評価の中をゴール寸前で2着に喰い込み
場内にいた競馬ファンの度肝を抜かせました!
いや~、あの時は私も驚きましたね。
まさかまさか、イクノディクタスが2着に入るなんて夢にも思えませんでした
当時はまだ馬連までしかなかった時代でしたが
その馬連で689倍という特大万馬券の決着に
肩を落として東京競馬場から帰ったのを覚えています。
そして、今だにあの杉本節の名実況が頭から離れないのが
その安田記念の次にイクノディクタスが走った宝塚記念です。
武豊騎乗のメジロマックイーンが大本命に応えて優勝したのですが
強豪牡馬たちを相手に2着に喰いこんだのがこのイクノディクタスだったのです!
「外からまたまたイクノディクタス! 外からまたまたイクノディクタスか~!」
あれも今思い返せば1つの名フレーズとして残っているんですね。
繁殖牝馬だった頃から、今の今まで元気に生き抜いてきたイクノディクタス
32歳とあれば大往生だったと思います。
安田記念、宝塚記念と連続で2着に入り、G1レースでも存在感をおおいに示した牝馬でした。
14番人気の次は、8番人気というまたまた人気薄で激走した当時の宝塚記念をご覧下さい
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