確かに、前年の皐月賞は当時のライバルでもあったアドマイヤベガやナリタトップロードに競り勝ち
G1の勲章を手にした同馬でしたが、それ以降のダービー、菊花賞、有馬記念と結果を残すことが出来ませんでした
周囲からは「騎手を変えろ」とか、様々なヤジが飛び交っていました。
今の時代ならもしかしたらデムーロやルメールあたりの外人ジョッキーへ乗り変わりになっていたんじゃないかとも思います。
しかし、テイエムオペラオーのオーナーでもある竹園さんは
若武者の和田ジョッキーを使い続けました。
年が明けて、陣営が最初に始動戦として選んだレースがこの京都記念でした。
今にして思えば、当時この京都記念を好発進して
それから伝説と言われる「年間8連勝」という無敗のまま
同馬が1年間を終えるなんていったい誰が想像できたでしょう?
一番人気の重圧を毎度跳ね返し、最強馬に君臨したテイエムオペラオー。
ディープインパクトやオルフェーブルも凄い馬ですが
この馬も偉大な「名馬」として競馬ファンの記憶に深く刻み込まれていると思います
とにかくあの時の京都記念はまさにこの馬にとっての序曲に過ぎません。
前年の菊花賞を勝ったナリタトップロードやシルバーコレクターのステイゴールドも出走していました
直線は皐月賞馬と菊花賞馬の壮絶な叩き合いは実に見応えがありましたね。
一旦は先頭に立つナリタトップロードをゴール前で再度テイエムオペラオーが底力を発揮し
差し返したあの黄金の脚は、有馬記念までひた走ることができた勝負根性の賜物だったように思います
年間無敗を飾ったあの年の、一回り成長したテイエムオペラオーの姿をご覧下さい
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